2020年12月31日木曜日

謹賀新年


あけましておめでとうございます。


今年も大東流合気武道に空手に、と楽しく活動を続けて参ります。

本年もよろしくお願い致します!


■連絡事項

【セミナー情報】
大東流合気武道ヤマト会体験講習会
https://pelab-budo.blogspot.com/2020/12/blog-post_69.html

【基本情報】
・コンタクト先:山本(yamamotoecs@gmail.com
・稽古場:宝珠院観音堂(名古屋市昭和区伊勝町2丁目9)
 https://pelab-budo.blogspot.com/2020/12/blog-post_30.html


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2020年12月30日水曜日

大東流合気武道について(3)


前回の投稿に引き続き、大東流合気武道の紹介三部作の最後となる第三弾。
遂に、伝説の武道家、武田惣角先生の登場です!

以下、原文のまま、お楽しみください。

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 武田惣角、安政六年(巳末・守護神大日如来)十月十日、会津御池伊勢宮武田屋敷にて惣吉次男として生まれる。
 惣角は父惣吉より剣術、棒術、相撲、大東流を学び、小野派一刀流を会津藩義勇遂長渋谷東馬に就いて学び、さらに各地を武者修行して、明治六年には長州征伐の折、父惣吉と親交を結んだ榊原鍵吉を父と共にたずね内弟子として鍵吉より直心影流の秘奥を学んだ。
 さらに榊原道場にて、興武所の各流派武術の達人と立合い、剣棒槍半弓杖手裏剣等武芸十八般に稽古精進して熟達し、全国の各流道場を巡回しては他流試合をして技を研究練磨していった。

明治八年に、廃藩置県により家老職をとかれ、都々古別神社の宮司となった保科近真(西郷頼母)の許に神官見習いとして行き、大東流御式内を学んだが、九州にて西郷隆盛の旗上げの噂がとび、その支援に行こうとするも失敗、明治十年には大阪で桃井春蔵の客分となっている。

大東流合気柔術中興の祖である武田惣角源正義先生


 その敵なしの剣は会津小天狗と恐れられ、宝蔵院槍術の印可等も受け各地を巡り武者修行の旅を続け九州鵜戸明神、二荒山(日光東照宮、明治十三年近真が副宮司となっている)、出羽の羽黒山等にも参籠祈願し心身鍛錬を続けている。
その間、保科近真の許へは幾度も足を運び、大東流御式内を学んでいる。西郷頼母は西郷隆盛と同族であり、近年手紙のやり取りのあったことが発見されている。

惣角と共に桃井道場より出立した庄内藩士兼之、榊原政治の両名は西南の役に西郷軍として参戦し戦死している。

明治三十一年、円仁開基の天台密教修験道場霊山にて保科近真の許、修行して遠知力、心眼力、その他の神通力を完全に身につけると共に、武田惣右エ門より西郷頼母に引き継がれた大東流や御式内の秘奥を学び会得する。

五月十二日、近真より
「しるや人川の流れを打てばとて水に跡ある物ならなくに」
の一首を示され、これより正式に大東流合気柔術を継承する。

保科近真の一首


 惣角は大東流合気柔術、小野派一刀流の二流を名のり、全国巡教し普及に努め、西郷従道や幕末明治の剣豪下江秀太郎をはじめ陸軍将校、判検事、警察、各地武道家名士等三万の門人を育成した。

惣角は百五十センチに満たない小男であったが、その技は神技であり、眼光鋭く人の過去現在未来を会う以前より察知していたという事もある。

それらにまつわる逸話は数多い。

又惣角の門人より数多くの分流支派が作られ、現在に至る。
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ここまでの3つの投稿に渡り、大野総本部指導員(名古屋大学パワエレ研究室技術補佐員)が主催される体験セミナーの前準備として、大東流合気武道の紹介をさせて頂きました。

歴史的にも非常に有名な人々が深く関わってきた武術であることが、自分で記載してみて理解できました。
今、名古屋にて、天皇家から伝わる日本の秘宝とも言えるこの武術を体験できることは、僥倖と言えると思います。

皆様も是非、ご参加くださいませ!


大東流合気武道について(1)
https://pelab-budo.blogspot.com/2020/12/blog-post_50.html

大東流合気武道について(2)
https://pelab-budo.blogspot.com/2020/12/blog-post_42.html

大東流合気武道について(3)
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大東流合気武道について(2)


前回の投稿に引き続き、大東流合気武道の紹介三部作の第二弾。
徳川家康と大東流合気武道との関係が明らかになります。

以下、原文のまま、お楽しみください。

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 徳川幕府となると家康は武田信玄の政治、軍事、経済、各方面の業績を幕府政策に取り入れ、大いに成果をあげた。信玄の旧臣である小幡景憲の武田流(甲州流)軍学を官許の学として公認している。

 家康の孫で秀忠の第四子、幼名幸松丸は武田信玄の四女武田見性院の養子となり甲松丸と名を改め武芸に励み、後に信玄の旧臣で家康の妹を妻にした保科正直の子正光の養子となり、保科正之と改名した。正之は寛永二十八年八月八日会津藩主(藩祖)として会津入城し、数々の善政を行い名君とうたわれたが、正之は国次開基西光寺を会津三十三番巡礼止所に定め、先陣争いの名馬(生喰)を源頼朝に献上したという小池の地を源家由来の地とし、御の字を賜り御池としている。
 慶安四年、正之は三代将軍家光の遺言により、四代将軍家綱十一才の後見役および将軍補佐役を託せられた。以来江戸城にて大政輔弼の任二十余年、その間、殿中の平和を保つため甲斐武田国次より会津に伝来された大東流を殿中護身武芸(御式内)に改定して老中、重臣、奥勤者に指導した。
 さらに正之は将軍家指南役小野忠常より小野派一刀流の秘奥を学び、小野派一刀流、御式内の二流が会津歴代藩主に継承された。

保科正之像
(狩野探幽筆、土津神社蔵・福島県立博物館寄託)


 御式内指導の任は三河西郷家を祖にもつ主席家老西郷家があった。
 三河守護代岡崎城主西郷稠頼の流れ西郷家は、家康の側室西郷局が二代将軍秀忠と忠吉を生んだ家系である。西郷家は摂政・関白となった藤原道隆に端を発しており、家康が征夷大将軍(従一位)になったのも一つは西郷局のこの出自の為であると言われている。
 西郷局は天正十七年没し寛永五年家康と同じ従一位を贈られている。西郷家は徳川将軍家の外戚に当たる。西郷屋敷は三十余の部屋があったと伝えられ「御式内」も西郷邸で門外不出の秘伝として重臣達に伝承されていったのである。

西郷邸跡
(会津観光ナビHPより引用)


 一方、武田家は国次より主税、信次と続き、四代を経て、惣右エ門と続く。
 惣右エ門は京都において、安部清明の後(上が衣で下が向の漢字)、土御門家について陰陽道を修行し免許を受け、宮中より内匠頭を賜り武田内匠頭惣右エ門となって、会津御池(御伊勢宮宮司)に帰りては、神道、陰陽道、大東流の達人として知られ、各地を巡教し会津家老西郷頼母にも、これ等秘伝を授けている。

西郷頼母
(会津武家屋敷蔵)


 惣右エ門の長男惣吉は若い頃相撲、剣術、棒(八尺棒)術、大東流を修行し、さらに藩より許されて、若者二人を連れて各地を武者修行し豪強を轟かせ、帰藩するや会津力士界の大関となり、藩主より白糸関の四股名を賜った。会津戦争では力手組長となり砲兵隊に参加、京蛤御門の戦い、長州征伐二度、鳥羽伏見の戦い、白河口の戦いに参戦し勇名をあげている。
 また、江戸の大関大錦と水入りの相撲を演じるなど、豪勇な逸話が数多く残されている。
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徳川家康の直孫から引き継がれていたんですね!
会津の由緒正しい武術だったとは。

長州出身の私からすると、ちょっと申し訳無い気持ちとなります。(笑)
長州征伐とかの単語も出てくるし。

・・・まぁ、いいや。

次回は、遂に、勇名な武田惣角先生が出てきます。


大東流合気武道について(1)
https://pelab-budo.blogspot.com/2020/12/blog-post_50.html

大東流合気武道について(2)
https://pelab-budo.blogspot.com/2020/12/blog-post_42.html

大東流合気武道について(3)
https://pelab-budo.blogspot.com/2020/12/blog-post_42.html


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大東流合気武道について(1)


このブログにて紹介しながらも、大東流合気武道について余り知らなかったことも有り、大野総本部指導員より頂いた文献から、手打ちで打ち出してみました。
下記、大東流合気武道の歴史と紹介です。

長いので、三部に分けております。
今回は、第一部。

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 大東流合気武道は古来手乞(てごい)に基づくものである。『古事記』の上巻「葦原中国平定」の項に出雲の国伊那佐の小浜にて建御名方神が建御雷神の神の手を取り若葦の如くつかみ拉ぎ投げたとある。
 この手乞は相撲の始めと言われておりその技法は合気陰陽法として伝えられ現在も大東流基本合気投の技である。
 宿禰(すくね)蹴速(けはや)以来、力ある者が地方より都に集まり力を競って宮廷の守り役人となったが、この手乞の形式は長く鎌倉武士達の相撲会まで続いた。

狩野山雪 筆 「武家相撲絵巻」より
(財)日本相撲協会相撲博物館 所蔵


 清和天皇貞観十年、式部省の管轄であった節会相撲が兵部省に移され、左右近衛大将がこれを統括した。これにより相撲は武技として発達し、手乞にて天皇を守護することは、清和天皇の御孫六孫王経基が源の姓を賜ることにより清和源氏によって代々継承されていった。
 清和天皇より貞純親王、源経基、満仲、頼義、義光と続く。新羅三郎源義光は左兵衛尉として宮廷に仕えたときには相撲強く海内一の弓取と称された。

源義光像
(『集古十種』より引用)


 義光はまた笙の名手でもあり、白拍子の舞に合わせる事も多く、白拍子の優雅で変化に富む柔軟な舞の中に、隙のない無形の理のある事を悟り、源氏伝来の秘法に工夫を加え、合気の秘奥を大成した。
 大東流の名の起こりは、義光幼少の頃、近江国大東の館に居住し、大東三郎と称されていたことによる。義光は大江匡房に就いて孫子、呉子等の兵法を学んだ外、晩年には刑部入道として園城寺密教道場にて心身の鍛錬を行い無敵の神通力、霊感神格を体得した。義光は後三年役の戦功により甲斐守に任ぜられ、次男義清に源家伝来の旗と鎧を与えて嫡子と定めた。

足柄山で笙の秘曲を伝授する源義光
『足柄山月』(月岡芳年『月百姿』)


義清の孫信義が甲斐国北巨摩郡武田村に住し武田姓を名のり源家伝来の旗と鎧を武田家統領として子孫に伝え、大東流も共に伝承されていったのである。天正元年、武田信玄が他界し、信玄の弟国次は信玄の遺書をもち、天正二年会津に到着する。
 国次は信玄と盟約を結んでいた会津の国司、芦名盛氏に仕え地頭として、会津西青津村田方五十町歩を賜り小池に居住、士五騎、足軽十人を召抱えて仕えた。
 また、坂上田村麻呂建立の清寧寺を再建し、会津天寧寺末寺として西光寺(国次開基)と命名し、国次末孫武田家は清寧寺の守護神社、御伊勢宮の宮司を兼ね、会津に定着し以後も大東流合気の秘奥(小具足)を伝承していった。
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自分で手を動かして書き出してみると、俄然、大東流合気武道に興味が出てきました!
・・・しかし、古事記の時代からって、凄いな・・・。

次回は、あの徳川家康と大東流合気武道との関係が明らかになります。


大東流合気武道について(1)
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大東流合気武道について(2)
https://pelab-budo.blogspot.com/2020/12/blog-post_42.html

大東流合気武道について(3)
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大東流合気武道ヤマト会体験講習会へのお誘い


名古屋大学パワエレ研究室の技術補佐員である大野裕廸さんが、来年の1月22日に、名古屋市宝珠院観音堂にて、大東流合気武道ヤマト会体験講習会を開催する運びとなりました。

大野さんは、下のボストンにて合気道の指導されていた時の写真の、真ん中の日本人の方です。
(外見が日本人っぽくない人なので、ちょっと分かりにくいのですけれども。)


名古屋大学パワエレ研究室も、本セミナーに協賛しております。
下記、ご案内です。

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大東流合気武道ヤマト会体験講習会へのお誘い

大東流合気武道の体験講習会を名古屋にて開催致します。

古事記にも出てくる古来手乞(てごい)を基とした大東流合気武道は、大東流合気柔術中興の祖である武田惣角源正義先生の技を受け継がれた武田惣角直孫 大東流合気武道宗家 武田等先生が中心となって、現在まで活動が続いています。
合気道の源流となったプリミティブな技と思想を、是非、この機会にご体験くださいませ。

日時:2021年1月22日(金) 18:00〜20:00
場所:宝珠院観音堂(名古屋市昭和区伊勝町2丁目9)

講師:大野 裕廸(大東流合気武道 総本部 指導員)

参加費:3,000円
参加資格:不問(どなたでもご参加くださいませ)
服装:動きやすい服装でご参加くださいませ

問い合わせ先:大野(yamatotakedasunzo@gmail.com

主催:大東流合気武道ヤマト会三重
協賛:名古屋大学パワーエレクトロニクス研究室
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名大パワエレ研武道部の活動の一環となります。
一般の皆様も是非、ご参加くださいませ!


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稽古会場のご案内(宝珠院観音堂)


現在活動している稽古会場のご案内です。

住所は、名古屋市昭和区伊勝町2丁目9となりますが、下記に道案内を紹介致します。
分かりやすい様に、名古屋大学との位置関係は下記のようになります。

赤い矢印は、名古屋大学正面からの道順です。


もう少し詳しい道順説明は下記となります。


つるさこ歯科・矯正歯科と、みんなの唐揚げやさん覚王山店(上記参照)の間の道を進んでいくと、上り坂となって下記の様な風景が見えてきます。


右手にこの駐車場入り口が見えてきますので、ここを入ってください。


結構な坂になっていますので、車高の低いクルマはご注意ください。


坂を上がると、広い駐車場が広がっています。
基本的にこのエリアはどこに駐車されてもOKです。
(シルバーのセダンが停まっている付近と、手前の「宝珠院」と書かれた駐車場は使用頂いてOKです)


この駐車場から東側(名古屋大学側)を見ると、宝珠院の観音堂外観が見えてきます。


基本的にチェーンがかかって門も閉まっていますが、そのまま進んで頂いて構いません。


入り口の坂を登ってきてもらうと、宝珠院観音堂の建物です。
石段を上がった正面のドア(自動ドア!)からお入りください。


内部は驚くほど綺麗な板の間です。
まだ築1年の静謐なお堂の中で、皆様と古くから伝わる日本武道を稽古できることを、楽しみにしております。


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本ブログについて


このブログは、名古屋大学パワーエレクトロニクス研究室のリクレーション活動の一環として、武道を中心とした運動を、研究室メンバーを中心に取り組んでいます。

日々の研究活動を支える基礎体力向上、精神の安定化を目的として、研究室メンバーと共に、活動を続けて参ります。
特に研究室として閉じて活動はしておりませんので、一般市民の皆様もお気軽にご参加くださいませ。

場所は、宝珠院観音堂(名古屋市昭和区伊勝町2丁目9)にて活動中です。

ご意見、ご不明点等ございましたら、山本(yamamotoecs@gmail.com)までお気軽にお問い合わせくださいませ。

今後ともどうかよろしくお願い致します。


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